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此の国の、はじまりの、原風景 by Naoki MIYASHITA

山に入ることをおそれるけれども、もとは山からおりて来たのだと、
奈良の山奥に分け入る度に思い至ります。

今日は朝から一年前と同じく、談山の地へ。
毎年開催されている談山能の記録撮影です。

奈良県桜井市の談山神社にて

奈良県桜井市の談山神社にて

信仰と芸能と風土と。
巷ではにおわない、日本のはじまりの原風景を垣間見るようです。

皆様、貴重な機会にご一緒させて頂き、
ありがとうございました。

 

以下、談山能のHPより引用 - http://ren-produce.com/tanzan-noh.html

「談山能(たんざんのう)」とは、能楽を大成した観阿弥・世阿弥の本拠地として大切にされてきた、奈良県桜井市にある談山神社(旧・妙楽寺)にて奉納される演能の企画です。
2012年から昨年までの計3回の「談山能」公演では、26世観世宗家観世清和氏の監修による、神社所有の「摩多羅神面」を使用した多武峰式「翁」とともに、同じく神社所有の面を用いた、能「恋重荷」「土蜘蛛」「通小町」などが奉納されました。

本年の「第4回 談山能」は、26世観世流宗家・観世清和をはじめ、観世流の錚々たる面々に加え、宝生流20世宗家・宝生和英も奉納に参加。番組も「翁」に始まり、舞囃子「龍田」、一調「船弁慶」、そして、能「千手」と、当代きっての配役で、魅力的な演目が組まれています。
また、今回は公演後、松岡心平(東京大学教授)、内田樹(思想家、神戸女学院大学名誉教授)、千田稔(奈良県図書情報館館長)の三者によるシンポジウムが開催され、奈良・多武峰の翁を出発点とし、歴史、思想、現代社会等を踏まえた広い視野のもとで、能楽の意義について議論されることになるでしょう。
本年も、芸能の原点を見つめ直す歴史的な演能の場に、ぜひお越しください。

翠を想う。 by Naoki MIYASHITA

人との縁ってなんだろうと思う。
撮影の合間に撮った一枚は心安らぐ色。

緑という字が振れ幅の狭い色を指すように感じるので、
あまり好きではなくて。

「翠」とあてると主に新緑をいうのだとか。

新緑のように初々しい人間関係というのは、
いつかまた手に入るものなのでしょうか。

京都・伊勢・阿波、天然藍染の浴衣制作プロジェクト by Naoki MIYASHITA

7月発表の仕事として、京都・伊勢・阿波を巡りながら手掛けた今回の仕事は、これまでのライフワークとクライアントワークが掛け合わさったような自身にとって大きな機会となりました。

その場でしか体験できず、また気づけないことが山ほどあるわけで、その感度と嗅覚を失うことなく、これからも物語を見つけ出しながら表現していくことができればと思います。

松。 by Naoki MIYASHITA

春先のことでしたか、お世話になっている方から「松風」を撮って欲しいと頼まれまして、丸一日あれやこれやと日本の芸能・文化の匂ひのような曖昧だけれども確かにそこにあり続けるものを撮り続けたのですが、これは大いなる修行となりました。

もちろん「松」も撮るわけですが、それでやっと「松」って何かなとあらためて問う事となり、自分の中の埋めなければならないピースのひとつになったわけです。

友禅の絵付け師の友人がタイムラインの中で「松は最後に向き合うものになりそう」とこぼしているのを見つけたりすると、なるほどこれはやはりただ事ではないのだなと殊更に思うわけです。

松、松、松。

見渡せば市中にもそして名勝史跡のあちらこちらにも松はあるわけです。ない場所を探す方がもしかすると難しいのかもしれない。それくらい、ある、わけです。そうしてレンズを向けるようになると、これがなんとも勇ましい。雌松・雄松とあるはずなのですが、どれも相応に威勢を張っているわけで、これなしに景色は成り立たないこともしばしば。

そんなある時、ふと思い出す事がありました。

話しは随分過去に遡って、大学に進学する直前のことです。(18の時のことなのでもう倍ほど生きたことになるんですね)京都を離れひとりぐらしをする際に、思い立って親父にひとつお願いをしました。

「おじいちゃんに一筆画を描いてもらいたいんやけど。」

友禅の絵描きもしていた祖父からそうして三枚ほどの色紙を親父が持ち帰ってくれたわけなんですが、「険しそうな、しかし、凛々しくもある」と、選んだ一枚は「松」でした。そこに込められた意味に少しずつ近づいているのかもしれないなと思いつつ、あぁ、昨日はそういえば五山の送り火だったなと思いつつ。

竹生島にて能の奉納。 by Naoki MIYASHITA

今日はお盆のまっただ中の京都を抜け出し、近江の竹生島にて観世流シテ方の林宗一郎さんをはじめとする弘道館の面々らと「能」の奉納。

降っては止み、降っては止みの雨の中、それはまさに龍の神の存在を感じるかのようでもあり、毎度の事ながらそれをわたくしは禊の雨と感じるわけであります。

芸能と暮らし。

脈々と受け継がれてきた「それ」の気配を前よりも少しは感じられるようになったでしょうか。まだまだ修行は続きそうです。

すだれ越しに夏の青さをみる。 by Naoki MIYASHITA

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温暖化とともに予想を上回る、というよりも、
気候自体が変化しはじめたと感じる昨今の夏。

市中はうだるように暑く、
海に行かずとも日に日に肌は焼けていくわけで。

とはいえ、今までと同じようなしつらえと空間の残る日本建築の中に身をとどめると、
少なくとも目に映るものは涼しげに見えるから不思議なものです。

この日は「うつろひ草子」の会場でもある 有斐斎 弘道館 にて和菓子について深める会。

「美味しい」ものでもありますが、それ以上に「食」と「儀式」において深い成り立ちをもつ、
歴史そのものでもあります。